同窓生からのお便り

潜水艦で働く私から見た日本語学校

 

カーカムももこ
2002年~2010年在学

  狭き門を突破して潜水艦の士官に

 私は現在、アメリカ海軍の潜水艦の士官として働いています。士官になるための難しい試験勉強や厳しい訓練を乗り越えて今に至りますが、振り返ってみると、日本語学校での経験が折に触れて私の進路を支えてくれたことを実感しています。私の体験談をお話しすることで、在校生の皆さんが日本語学校での勉強を続ける後押しになれば嬉しいです。

日本語学校の思い出と日本語への向き合い方

 私は日本語学校に小学1年生から中学3年生の夏まで在校しました。中学3年の夏に父の転勤でパリへ引越し、約9年間を共にした友人と一緒に卒業式に参加できなかったのがとても残念でした。日本語学校では、アメリカと日本の違いを色々な場面で経験しました。休み時間は男女問わず一緒に外で遊んだことを懐かしく思い出します。その中でもアメリカと日本のルールが異なるドッジボールをしたことが印象に残っています。

     運動会は忘れられない思い出

 日本語学校で特に楽しみにしていたのは、秋の大運動会です。全校が一丸となって行う運動会は現地校では味わえない盛り上がりや迫力があり、今でも鮮明に覚えています。私は小学5年生からずっと紅白リレーの選手で、大歓声の中を夢中で走り抜けたことは特別な思い出です。

 我が家は日本で暮らす予定はなく、在学中の私の目標は母の故郷の日本に毎年行き、親戚と日本語で話すことでした。日本語学習を続ける目標を明確にしたので、辛いと思う時でも続けることができたのだと思います。また、日本への理解を深めることで、日本語への興味も維持できました。特に社会の授業で日本の都道府県について調べた後の夏に、実際にその地域を訪ねたことはとてもいい思い出になりました。

日本語学校だからこそ!

 私は地元のサッカーチームにも所属し、日本語学校とサッカーの両立に励みました。土曜日の朝に登校した後、サッカーの試合のために授業を途中で抜け出し、その後でまた学校に戻る時もありましたが、父が送り迎えをしてくれたおかげで両方とも続けることができました。その時に一番苦労したのは、運動と勉強の頭の切り替えをすることでした。どちらも100%の全力で取り組みたい気持ちはあったものの、それを実現するのは本当に大変。努力していても迷ったり不安になったりする中、日本語学校を続けていてよかったと思う出来事が起こりました。サッカー選手の澤穂希さんが日本語学校を訪問してくださり、クラスメイトからの推薦で皆の前で澤選手とドリブルを一緒にすることができたのです。なでしこジャパンが日本で注目される前のことです。日本語学校に通っていると、日本では簡単に実現しないような経験ができるのも大きな魅力だと思いました。

海軍士官への道に活かされた経験

  中隊指揮官として先頭で行進

 パリのアメリカンスクールを卒業した後はネイバルアカデミーに進学しました。7年生の時にアカデミーの生徒の姿を見て憧れたのがきっかけです。挑戦する場に身を置き、自分に自信を持てる人になりたいと思いました。アカデミーに入ってからの4年間は本当に大変でしたが、そのおかげでどんなことにでも挑戦し、最後まで頑張れる強さを身に付けたような気がしています。

 ネイバルアカデミーでは日本語のクラスを取りました。日本語学校での勉強が基礎となり、すんなり単位が取れたことも日本語学校を続けてよかったと思う理由です。4年生の時に所属する中隊の指揮官になりました。指揮官は中隊をまとめたり、行進の時に号令をかけたりします。まるで日本語学校の授業前の挨拶のようです。

 アカデミー在学中に潜水艦の士官に接する機会があり、仕事内容や責任感を持って任務にあたる姿に魅力を感じて進路に選びました。潜水艦に乗るための試験はとても難しく、アカデミー卒業後に専門の学校に通い、数々の実践も重ねました。女性士官の枠は限られているため、良い成績は欠かせません。辛くても日本語学校で過ごした時に培った諦めない気持ちが役立ちました。そしてアカデミーを卒業してから3年後、ようやく潜水艦の士官になれました。

   長い道のりを経て目標達成!

 現在はジョージア州南東部にあるアメリカ海軍の基地で働いています。私の主な仕事は潜水艦の安全な運航の管理です。任務中は8時間もの間、集中して機材を見続けます。士官としては、円滑にグループワークができるように細かい所に気を配ることも重要です。今思えば、日本語学校で漢字の書き順や作文の書き方などの細かい所にまで注意を払っていた経験に共通する部分もあります。土曜日に日本語学校に通ったことやパリという見知らぬ土地で生活したことで、簡単な方か難しい方かを選ぶ場面では、難しい方に挑戦できるようになりました。過去の様々な経験が現在に繋がっているのだと改めて感じています。

 日本語学校での学びの大切さやありがたさに気が付くのはずっと後のことですが、皆さんの努力や苦労が実を結ぶ日はきっと訪れます。私のように日本語に直接関係することではないかもしれませんが、日本語学校での何気ない経験が思いがけない形で役に立つこともあるのです。在校生の皆さんも日本語学校での勉強を続けて日本やアメリカ、世界の架け橋になって欲しいと心から願っています。

 

出典:みらい通信2022年10月号

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