同窓生からのお便り

スコットランドから見た「私」

 

木村まり

2018年度卒業生

 私は2020年秋からスコットランドのセント・アンドルーズ大学で国際関係学を学んでいます。この大学への進学を決めた理由は、日本やアメリカとは異なる文化の中で多様な人々が暮らす環境に身を置きたいと思ったからです。そう考えた背景には、日本語学校での経験があります。

 私は、ワシントン日本語学校に幼稚部から高校2年生で卒業するまで通いました。日本から引っ越してきて英語がまだあまり得意でない生徒、アメリカで生まれ育ち、日本語があやふやな生徒、そしてその中間に位置する生徒が一つのクラスで学ぶユニークな環境が日本語学校の特徴です。日本語学校は「文化の違い」について、そして自分や友人のアイデンティティについて、じっくり考えていく場であり、文化的背景が「違う」ことを当たり前として受け入れる寛容性やその違いを尊重する心を育ててもらったと今になって実感します。

 そんな日本語学校にはたくさんの思い出が詰まっています。幼稚園の頃は、ちぎり絵で鯉のぼりを作ったり、節分の日の豆まきのために折り紙で豆を入れるコップを作ったりしたこと、中学や高校では放課後に集まって応援団の練習を頑張ったことや、おやつに食べる団子の好き嫌いの話で授業が盛り上がったことなど、数え上げたらキリがありません。

 一方、長年続けるには大変な思いもしました。月曜日から金曜日まで現地校に通った後、土曜日も早起きをして日本語学校で6コマの授業を受け、さらに別の曜日にスペイン語学校にも通っていました。そのため3つの学校の宿題に追われる毎日で、日本語学校で出される大量の宿題を前に呆然としたことも度々ありました。しかし、先生も先輩も「今は大変だと思っても将来のために通い続けたほうがいい」と何度となく私を力強く励ましてくれました。ようやく高等部の卒業式を迎えて袴を身に着けた時、なんとも言えない達成感で胸が一杯になりました。「卒業まで日本語学校に12年間も通い続けられた」という自信は今の私を大いに支えてくれています。

     運動会で国歌斉唱(中央が筆者)

 また通学しただけではなく、日本語学校の課題にも真面目に取り組んだ私には次のような思い出もあります。毎年夏休みに3週間ほど、日本に住む祖父母の家の近くの公立校にも体験入学をさせてもらいました。小学生のころは毎年友達が私の来日を楽しみに待ってくれたこともあり、私自身もその再会をモチベーションに、現地校と日本語学校を両立させて頑張りました。ところが中学校に入ると、初めて会ったクラスメイトたちに「外人」と呼ばれました。また授業では、私には教科書が読めないと思われて、音読の順番が回ってくると「じゃあ・・・木村さんはいいです」と飛ばされる経験もしました。しかし、私が「読みます!」とスラスラ読むと「アメリカ人なのにすごい!」と拍手されました。日本語学校では、生い立ちや日本語の習熟度に関わらず皆が音読することが普通なのに、日本ではそれが称賛の対象になり、くすぐったい思いをしました。

 大学の話に戻ると、私は現在スコットランドで、学内の学生たちと日本語を通して関係を深める新しい挑戦をしています。その一環として、子供の頃の経験を日本語で語り合う、嵐の曲を歌いながら一緒にカレーライスを作る、などのアクティビティを行いました。また、私は大学の「ジャパンクラブ」というサークルにも所属しています。ジャパンクラブでは会話や漢字の練習をしたい人向けには日本語の授業を提供し、日本文化について学びたい人向けにはジブリ・マラソンや天ぷらパーティーなど気楽に参加できるイベントを用意しています。今年はオックスフォード大学とケンブリッジ大学を含む5つの英国内の大学の「ジャパンクラブ」が「スピードフレンディング」という催しをズームで行いました。「スピードフレンディング」とは、他校のクラブのメンバーとペアになり7分間日本語で会話をするイベントで、そのおかげで一気に友達が増えました。ドイツ人物理学者、ウクライナ人バレリーナ、そして私と似た境遇のペルー人と日本人のハーフなど、様々な国から来た人たちやおもしろい趣味や興味を持っている人に出会い、楽しい時間となりました。

 改めて考えてみると、ワシントン日本語学校で過ごした月日は、私にとってかけがえのないものでした。12年間日本語学校に通い、辛いながらも自分と向き合い続けたおかげで、その後の人生で自由に羽ばたくための翼を手に入れたと思っています。今後もスコットランドで活躍する他の日本人や日本に興味のある大学生との触れ合いを続け、夏には日本へ一時帰国して通訳の仕事を行い、日本と自分との関係をさらに深めていきたいです。それが自分のルーツである日本人としてのアイデンティティにより誇りを持つことにつながると考えています。さらには、日本とアメリカ、日本とイギリスだけではなく、日本と世界との架け橋になりたいと願っています。周囲の人たちと多様性を共有し、お互いに学び合い、グローバルなコミュニティーを築いて広げていくのが私のこれからの目標です。

 

出典:みらい通信2021年8月号

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