同窓生からのお便り

一国丸ごとのマーケット

 

大隅美音

2016年度卒業生

 大きな声では言えない話をする。補習校に通っているたいていの生徒なら、私の言おうとしていることは察しがつくだろう。それは、生徒は補習校をバカにしているということだ。もしかしたら今の在校生は私の学年と違って皆真面目で勉強熱心かもしれないが、そうでなければ是非読み進めてもらいたい。

     結構盛り上がった運動会の応援団

 私が通っていた頃は、補習校に真剣に取り組むのは、気恥ずかしいことだと思われていた。これは補習校に限らず、現地校でも人生全般に対してもそうだが、中学・高校時代には「必死で努力しなくてもなぜかデキる」方がカッコよくみられる傾向がある。補習校での成績は現地校ほど将来に影響しないせいか、テストの点数さえ気にされていなかった。大人が一生懸命計画した運動会やイベントも、生徒がノリノリでやるのはダサいと見られていた。禁止されている英語を話すことも、ちょっと反抗的でカッコいいと捉えられていた。

 今振り返れば、補習校という貴重な機会を無駄遣いすることこそが一番カッコ悪いことだった。日本特有の文化を毎週末気軽に味わえたこと、周りを気にせず日本語をいっぱい話して練習できたこと、そして文化的アイデンティティを共有する友達を作れたこと–これらは全部補習校ならではのかけがえのない機会だった。補習校で日本語の基礎を学んだおかげで、仕事のマーケットと会話できる相手が一国丸ごと増えた。

 私はアメリカで生まれ育ち、補習校が近くにある環境で暮らしていたにも関わらず、中学2年まで補習校に通っていなかった。普通に幼稚園から補習校に入ると、それだけで日本語はペラペラになると安心してしまい、逆に小学3年生くらいで漢字についていけずに脱落する、と思い込んでいた母とずっとマンツーマンで日本語を勉強していた。毎月日本から進研ゼミのチャレンジを送ってもらい、大使館でもらってきた日本の教科書も使っていた。小3で母が補習校に入れようとした時、私は絶対嫌だと言い張った。きっとみんな幼稚園からの友達と仲良くしていて、溶け込めないと思ったのだ。それが一変したきっかけは、中2の夏にO-enキャンプのジュニアカウンセラーを務めたことだった。他のカウンセラーはみんな補習校に通っていて、逆に「なんで通ってないの?」と不思議がられた。キャンプで友達になった仲間が、補習校に来たらこれからも会えるのに、と誘ってくれたおかげで、夏休み明けから通うことになった。ちょうどティーンエイジャーになり、母とは衝突することが多くなっていたので、良いタイミングだったかもしれない。

 さほど熱心な生徒ではなかったが、補習校は私にとってたくさんの思い出が詰まった場所になった。補習校で初恋をして、家に遊びに行くほど慕える先生にも出会えて、兄弟みたいに仲良くなった友達にも恵まれた。

 私は現地校の中学で第三言語として中国語を学び始め、大学での留学先は中国にしようと思っていた。ニューヨーク州のハミルトン大学入学と同時に、外国語学部で日本語のチューターとしてバイトを始めた私は、2年目の終わりに、日本語学科の生徒の発表会に招かれた。みんな日本語がたまらなく大好きで毎日熱心に勉強している人たちだが、スピーチとなると四苦八苦。外国語として学んでいる自分の中国語もきっとこんな感じなんだろうと思った。語学は最低10年は費やさないと仕事で使えるようにはならないだろう。補習校はその土台を私にくれた。だったら、中国語をネイティブの中学生レベルにするより、日本語をネイティブの大人レベルにする方がいいと思い、留学先を日本に変えた。

 奈良で桜を満喫しながらICUに留学

 ハミルトン大学は小さい大学なので、日本への留学プログラムは学外で探し、バーモント州のミドルベリー大学経由で3年次の春学期にICU(国際基督教大学)に留学することになった。留学期間に先がけ、コロナ感染が日本で騒がれ始めた今年の2月中旬に奈良県にある母の実家に到着した。3月半ばに東京に行く予定だったが、その直前にコロナ禍でオンライン授業になった。当初はゴールデンウイーク明けまでオンライン授業という予定だったので、その後東京でのキャンパスライフを経験するのを楽しみにしていたが、結局留学期間終了までオンライン授業になったので、時差をやりくりすることにして早めにアメリカに帰ってきた。

 初めてのオンライン授業は戸惑うこともあったが、少人数クラスだったため、ディスカッションで発言する機会も多く、楽しかった。この経験で、日本語で文章を書く力が伸び、苦手だった敬語も自信を持って使えるようになった。東京で大学に通いながらインターンをするはずだったヴィーガン団体のウェブサイトに夏休みの間も月に数本日本語で記事を書いて発信している。

 日本語の勉強は補習校を卒業したら終わりにするのでは使えるレベルにならない。いろいろな場面で使いこなすチャンスをつかんで、幼い頃から身に付けた日本語の力を維持、向上させたいと思っている。

 

出典:みらい通信2020年8月号

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